何だかんだ五七日過ぎて。

今日は暑いです。

部屋の中が28度超えたので2階の住民の私は一階に逃げてひたすらトイレ掃除してました。

水シャワー浴びて今に至ります。

祖母の部屋にあった電子蝋燭と電子線香が電池切れていた事に気付いたけど、

あとで電池替えます。ばっちゃんごめん。

 

トイレ掃除を2時間近くしていて、途中ふと思ったのですが祖母はこの家にギリギリまで居て本当に良かったな、と思いました。祖母はこの家が大好きだったから。

最後1年だけは介護サービスを使ったけど、認知がありながらも迷惑だけはかけないようにと頑張っていた祖母には本当に頭が上がらないです。

介護サービスと言っても基本的には週2のデイサービス、週1の訪問介護、月1のショートステイ1泊しか使っていないのでその中で父は頑張っていたんだなぁ・・・と。そりゃトイレや家の事まで頭回らないなぁ。

とぼんやりと考えてました。

 

そんな父も祖母を看取った今、晴れて年金受給年齢の65歳にもうすぐなる訳ですが、

老いとストレスが急に来たのか、常に耳鳴りと頭痛や疲労感があるらしく持病の関係もあって

ここ3年程主治医から入院を勧められて最近は透析指導まで入ってきたので、私が頑張らないとと

頑張っている今日この頃です。

 

 

自宅の周りも介護施設が増えました。殆どがデイサービスでしょうか。単位高いもんね。

介護ビジネスって本当によく出来た言葉で、老人ホームは入居待ち、入れても月40万、ティッシュや歯ブラシ等消耗品は指定された物を高値で購入…年金ではとても厳しい。貯蓄を崩しても時間の問題。

本当のこと言うと自宅介護でも年金だけではとても難しいと思います。

祖母は遺族年金が大きかったのでそれだけでも生活の足しにはなりましたが、あくまでも足しです。

父の収入を入れなければ自宅介護すら出来ませんでした。

家に祖母一人には出来ないのでこれが出来たのも自営業だからこそ。

仮に父がサラリーマンだったら不可能でした。母や伯母がする訳ありませんし。

 

今まで倒れた時も超高齢者と総合病院の受け入れすら拒否され、最後に入院出来たのも奇跡に近い。

今考えれば入院した日、祖母が必死に家に居座ろうと抵抗していたのを見ると家で死にたかったんだなぁ……

と思いましたが、ターミナルケアというのは自宅では設備等考えるととても難しい。

そして往診医も居ないので結局苦しみながら亡くなることを考えると

適切な処置を受けられる病院で静かに息を引き取って良かったと思います。

たった2週間の祖母の入院だったけど、父と二人で奔走して祖母の死に目に会えただけでも本当に良かった。

祖母は一人で逝ってしまう。でも、見送る人は欲しかったと思います。誰だって死ぬのは怖いから。

だから、数分でもその場に居れて良かった。

 

ただ看取る疲れよりも祖母が危篤とはいえ、まだ生きているのに既に祖母を死ぬと前提で話す親族には

体力精神力をガリガリ削られてそれだけで疲弊してしまい、一人泣くことも多かったのは事実です。

でも、それは生きている間だけ。

実際今でも悲しみは感じてなくて。

もしかするとこれから悲しみを感じるかもしれない。もしかすると悲しみが来るかもしれない。

百日経つ前からこんなんだけど、ただ思うのは祖母の孫で良かったな。と。

満中陰で閻魔様の最期の審判が下るそうですが、祖母のことだから5回目の審判も閻魔さまとビール飲みながら

いつものマシンガントークをしているのでしょう。

大正からお疲れさま・・・ゆっくり休んでほしいと言いたいです。

 

入院する直前までテレビのニュースを見てテロップを読み上げてそれを呟きながら時代に付いていこうとした祖母。

老いで言うことを効かない身体に苛立っていた祖母。

「今までボケてるフリやってん!」と本当に認知が入っているのかわからない程、時々しっかりしていた祖母。

長女なのに兄弟が次々亡くなり、迫る寂しさを感じていた祖母。

身体が不自由ながらもいつもトイレのスリッパは綺麗に揃えていた祖母。

ベッドから見える庭の景色を愛でて、「ここに居るのが一番落ち着く」と時鳥の声を聞いて微笑んでいた祖母。

 

何であれ祖母は居なくなった。それは事実だけど私の中で生きている。これだけで充分です。

さて、祖母の桐箪笥に入れる樟脳でも買ってこようか。